くらしのエアポケット空蝉

流れ流れてにゃんこ のうみそたれながし

何回目の「こんな体は嫌だ」 その1

人生、何回目の「こんな体、嫌だ」でしょう。

まず、田舎のジジババから、「早く長男を」など散々言われてたと思われる母親の発言として、「お腹蹴ったり元気だったから男の子だと思ってた。」 この言葉はボクに幾度となく(いやもう事あるごとに)言われてきた言葉(呪い)だ。ボクは男として生まれるべきだった、男であるべきだった。という呪い。ボクが女の子っぽい格好から趣味から否定することになった言葉。ボクが男の子っぽく振る舞う事になった言葉。呪いというものはなかなか解けるモノではない。これだけでボクの人生は半分くらい狂ったとは思う。

ボクが本来生まれてくる予定日は8月の末だった。しかし、一週間たっても生まれる気配はなく、陣痛促進剤で世の中に出された時には、9月も10日経っていた。この時点で、「男でなかった」為、ジジババからの祝福はなかったんだろう。

やっと生まれたはいいが、乳を吸う力が弱かったので、鼻から管を入れて粉ミルクで育った。そのため母乳による恩恵(免疫力など)は受けられず。

伯母からの「(子供が)二人いるなら、一人ちょうだいよ」発言もあったが、母親は断固として反対したのかな……「子供が二十歳になったら選ばせる」だかで誤魔化したようだが、伯母としては(子供が望めない以上)、後継ぎは欲しかったろうし、そうなると一緒に暮らしていないとわからない事(家の行事や改修、その他)があるので、出来れば子供の頃からが良かっただろうに。ただ、後継者としてはボクはあまりにも器が無かったし、遺伝的病気の事などもあったので、結果的にはボクじゃなくて良かったとは思うけれど。伯母のボクに対する立川の家での躾はちょっとした希望だったのかも知れない。他の叔母たちが煩かったので、ボクは実家も立川の家からも出てしまったけど。

免疫力というものの恩恵にあずかれないという事は、まず、熱を出しやすい、風邪を引きやすい、肌は弱くてかぶれるし汗疹は出来るし、そうでなくても痒いし、鼻水はズルズルだし、鼻血も出やすかった(鼻の粘膜が弱かったと聞いたが、さて)し、体力的にもすぐ疲れるし(これはもしかしたら、のちにわかってきた情報過多のせいかもしれないが)。

基本的に熱が出ていてもわからないおバカだったので、乳幼児で39度出ててもニッコニッコしていたので、大人が困惑するほどだったらしい。小学生の頃も、鼻水が止まらなくて、みんなからちり紙もらっても足りなくて、トイレットペーパーに最終的にはハンカチを洗ってまで授業受けてたのだけれど、おバカすぎて「保健室に行く」という選択肢はなかったようだ。家に帰ってぐったりしていたところを姉が寝かせてくれたような気がする。

まだ小さい頃は、父親も心配したり、母親が病院へ連れて行ったりしていたけれど、そのうち「風邪は気合で治せ」「傷は舐めときゃ治る」とか父親(病院嫌い)が言い出して、素直にそれに従った結果、ボクも病院嫌いになったので、そこら辺の責任は父親にあると言っても過言ではない。「保健室に行く」という選択肢が無くなったのもたぶんこのせい。

 

長くなったので、ひとまずここまで。

直感で操作がわかるほど、技術の継承という課題をメーカーはクリアできたのか?

全角のスペースはどうすれば変換できるのか、未だにわからん。Apple製品は、「直感で」操作できるとかが売りなのに、全然わからん。なので、MBAが全く使われないし、新バージョン出ちゃったし、どうすればいいんだってばよ。的な位置にいるぞ。まじめに、iOSMacはわからん要素ばかりでいじる気があまりしない。スライドパッドだと誤認識やら誤操作やらでよく打ち込んでたデータが消えるので、マウスがどうしても欠かせないのも使われない要因なのか。それとも、大した用事もないので放置されているのが正しいのか。hierarchy file systemとは相変わらず、相容れない。もうNTFSの時代だろってーのに。ちょこっと使いにしてる外付けHDDが、じつはFAT32だったり……

というどうでも良い事を考えつつ、テープ to SDもやってるけど、どのテープが終わってるのかわからないので、多分重複してるだろうって事だけは確実だ。

東芝のTY−CDX9で変換しているけど、時々こいつ変なところで止まって(正しくは変なところで再生を繰り返している)いる事があるので、怖すぎる。仮にも再生中なので、カセットを取り出す事は出来ない。仕方ないので、一旦、元(コンセントからだ)から電源を落として再度電源を入れ、本体の電源を入れると停止状態に戻るので、ここでカセットを取り出す。この症状で気になったのは、ディスプレイがチカチカしてた気がする……ってところか。用心して、カセットを出し入れしてみたりするけど、何が原因なのかはわからない。それだけでも恐ろしいのに、こいつときたらテープ to SD/USB のほかにもう一つボタンがあって、それは テープ to テープ って言う恐ろしいボタンだ。つまりは元のテープの内容が消えるという恐ろしいボタンである。何故、SD/USBと並んで配置されているのかわからないが、ちょっと間違えて押してしまったら、大江千里の sloppy joe が最初の曲のほとんどが消えていた。気がつかなかったら、A面全ておじゃんとかいう悲惨な状況だった。「東芝、許さん」とか少し思った。

もうSONYも501から先は出さないだろうし、安くもならないだろうってっことから東芝にしたのだけれど、いやあ、こいつを設計したのってもしかしたらカセットテープとかデッキとか世代じゃないかも知れないなあ。

設計やってるやつも、修理やってるやつも、ジェネレーションギャップってヤツがあるだろうし。年を取れば、最近の技術を取り込みにくくなるだろうし(SD/USB が何かわかっていても中身がわかってないとかもあるだろう)、年が若ければ、ベテランの退職により、昔の技術を教えてもらえずに最近の知識ばかりだったり、テストテープの作り方も知らないとか、動作テスト本来のやり方さえ知らずに、単純にボタンを押して、「動作する・動作しない」で判断してしまったり、それでクライアントからお金をもらっている事もある。

それじゃダメだろって、ダディが言ってた事がわかるようになってきた気がする。

ちゃんとオシロなりで信号の波形を確認するとか、モーターだって動くかも知れないが、その時だけ動いても仕方ない。経年劣化でへたれたベルトやローラーの交換や、ギアだって何度も使っていれば壊れるモノなのだ。電源部も重要だし。全てがクリア出来たら、今度は調整がある。テープの回転速度の調整や、心臓部であるヘッドの調整。そういった念入りな確認と調整を経て、保守や修理は成り立っている。そのデータを設計へフィードバックすべきなんだけど、どこまで拾ってもらえるのか。

その昔、作りたかったのは、機器を修理した記録をエンジンとするデータベース。だけど、その時点での技術(自分のスキル含め)では無理だったと思う。

いまやりたい事は、ダディの知識をなるべく聞き取りして残す事。かなり困難で、現在はダディは家の事(母の介護など)から逃げる事を仕事と言っている(昔からそうだが)状態だし、ボクは重度の引きこもり中だし、このままだと聞くべき事を聞けずに終わる。

仕事場の事も考えなきゃいけないのに。

ま、そこら辺は一度や二度じゃ片せない案件なので、お互い生きてるうちに。

で、何を話していたのかって、その機器が古くてもいつまたブームが起こるかも知れない事への先手として、ベテランたちの技術をいかに伝達していくか。

「DATに詳しい人が退職してしまったからもう直せない」なんて、そんな泣き言を大手メーカーの修理担当が簡単に言ってはいけない。どうして、いずれは退職するベテランの技術を教授する機会を逸してしまったのか。退職したベテランをどうして嘱託でも下請けでもいいから、確保しておかなかったのか。

今回は、このTY–CDX9という、普通のCDラジカセに「テープ to SD/USB」機能が付いてる機器への、ちょっとした愚痴なんだろうな。安易な発想ではなく、もっと練るべきは練るべきだろうという。決して自分にはわかりやすい操作配列ではないと思われるが、他の人の意見も聞いてみたいところだ。操作配列(UI 面)には、削っていいようなものは無いと思うが。コンパクトに収まったと開発や設計陣が思った時点で、一般にはわかりにくくなっているだろうから。

引きこもりが外に出るという訓練を始めても、二、三年しないと復帰が無理とかどっかで聞いたが

 もう駄記事を60も書き込んでいるとか、正気じゃないだろ的にブログの還暦祝いでもやるか。というのはさて置き、無理やり小さなPC机を買い込んで、寝室の模様替えならぬボクの生活環境の模様替えをしてみた。

 いままでは布団に寝転がりながらタブレットスマートフォンをいじる生活を送っていたため、体力は低下する一方だったし、飯は食わないと食べるの波が激しすぎで胃に優しくないし、ウォーキングをするための準備はするものの、なかなか外に出られないっていう。それも、風呂に入るタイミングを失ってて、旦那が入る時間だと髪の毛乾かせないし、その前だと、一仕事終えた後はもう旦那が帰ってくる時間で、飯の時間になったりするし、風呂を沸かしても体力的に入れるかどうかわからないし、自分の一日の時間割をどうしようか考えているものの、集中してしまえば昼ごはんも食べずに作業をしてしまうので、やはり風呂は夕方が良いのだろうけど。湯船に浸かって温まらないといけないのはわかってるし、ただ、沸かすのに一時間程とか待ってられない。かといって、体の芯まで冷えちゃってる状態は良くないし。どうすりゃいいのかわかんねええええ! と放り投げてしまいたい。ついでに、ウォーキングは朝が良いと思うけど、旦那が寝るの2時3時。だいたい4時起きして朝の用事済ませてから5時くらいには帰ってくる感じかなあとは考えてる。で、旦那が起きるのは7時なので、その間にジャーナルとか書いてればいい感じよな。と。

 しかし、引きこもりは今に始まった事ではないし、なかなか外に出ようと考えるものの行動にまでは移せないってジレンマをここ数年味わっているので、打破するの大変そうだな……。果てには、「もう死んでも誰も困らないのでは?」とか、特に躁鬱の波の底にいるとそういう結論に至る事が多い。

 普通の健常な考え方の人にはあまり関係ない事なので、別に無理して理解してもらおうとかそういう事ではないのだけれど、「仕事が出来なければ、自分に生きてる価値はない」とか「何度か会っている知人や例えば何かの活動の仲間でも、対面すると勝手に足が震えて止まらなくなる」とか「ランチや夕食などの食事会は、胃の都合で食べきれない事が多いので、なるべく避けたい」とか、いままで生きてきた経験などの積み重ねで、「人と会うのは怖い」「外は怖い事ばかりだ」と思う・思ってしまう事で、外に出られなくなる・引きこもってしまう人間(もう人間なのかわからないけれど)なので、この認知の歪みの元々の原因を探りつつ、その歪みを少しずつ矯正していく訓練をしなければ、多分このままなのだろう。この訓練の一環として、まずは、「(筋肉を少しでもつけるために)なるべく椅子に座るなどして横にならないようにする」事。次に、「(外に出るための準備として)自分のペースで風呂に入れるようにする」事。そして、「(外に出る理由付けとして)たとえ数十分でもウォーキングをする」事。一見、至極簡単な事のように思えるかもしれないけれど、今のボクにはほとんど出来ない事ばかりだ。

 とにかく、一つ目は模様替えをして、椅子の生活を手に入れた事で少し解消されるかも知れない。二つ目が出来ないと三つ目に進まないので、早めにどうにかしたい事案。三つ目が出来るようになれば、帰りにお茶してから戻ってくる事も出来る。「ひとりでもお茶会」は実は続いているけれど、サイトの更新までは手が回らなかったので、起きていればそれも可能になる。

 当分は冬物と夏物の入れ替えやら、リビングなどの片付けが主になりそうだけれど。

 

 今月で蛇骨湯が閉まってしまうので、銭湯ツアーが出来ると良いのだけれど。大黒湯も行きたいし。こういう事をジャーナルに書くと良いのかな。

 

覚え書き

 Twitterでのこれについて「2011年に大腸がん切除して、やっと経過観察5年経った矢先、2017年4月末に多発性骨髄腫で入院して、2018年2月退院。どこまで治療できたのか私知らないから、母がいつまで持つかわからないし、でも確実にわかってることは、この先「死」が待っていること。」

 この事を考えると頭が真っ白になってぐすぐす泣いてしまうので、あまり考えないようにしてるのだけれど、ちょうど他の方だけれど同じ病名など見てしまって、しかもその方は何年かの闘病の末亡くなったとの事で。

 この先、母親にどれだけの時間が残されているのかわかりません。祖母は脳卒中で倒れてから14年は生きていたし。母親の事は嫌いですが、誰かが亡くなる・いなくなる事が、私はとても嫌で、それなら皆がいなくなる前に私が死にたいと思うほどです。祖母が、義母が、いない事に耐えられない。それほど精神は強くないのです。体だって強くない。見た目は普通ですが。

 

首すじからの背中が引っ張られて、感覚がへん 自分じゃないみたいだ 変なカッコでPC前に座ってるのが原因なのはわかっているが、それプラス目が限界で、見えてるけどよく見えてない 頭も痛くなるし、目の下とか肩甲骨のとことか、ぐりぐりすると痛い 低周波治療器で強めに30分ピリピリさせてやっと電気通ってきたなと感じるくらい鈍麻してる

それでメガネを新調するのに、眼科に行こうとしてるのだけれど行けない

PCとNASとデータで空き領域なくなってきたので、原因調べたり、ファイルの整理したり、しまいにはわけがわからなくなって一日が終わる

他にやらないとな事が全然出来ないで一日終ってしまう さむいし寝てしまう